俺?CEOだよ。社員いないけど

めんどくさいことばかり考えている26歳起業家「FL G4ng」の日記。頭の整理のためにゴミを投下します。

【FL G4ngの千夜五百冊 第1夜】坂本眞一「漫画版 孤高の人」

 

始まりました、FL G4ngの千夜五百冊。初夜の今日はかっこつけてSF小説で開幕からぶち上げようとも思ったんですけど、やめました。あえての漫画。でも僕の人生のバイブルの一つです。

 

 

 

 

~ 簡単なあらすじ~
孤独な青年・森文太郎は転校初日、同じクラスの宮本にけしかけられ校舎をよじ登ることに。一歩間違えば死んだかもしれない、だが成し遂げた瞬間の充実感は、今までになかった「生きている」ことを確かに実感するもの…。文太郎はクライミングへの気持ちを加速させはじめた――!!


要するに登山モノなんですが、スポーツ漫画の類では全くなく、登山と出会った森 文太郎が人間である以上避けては通れない人間関係、社会に苦しみながら、ひたすら山と向き合う話です。正直、話が進むにつれて気が重くなっていきます。

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ところで、皆さんは文太郎のように人生で「俺には(私には)これしかねぇ!」というものに巡り合えたでしょうか。巡り合わない人が大半でしょう。僕は飽き性なので「これしかねぇ!」みたいなタイプでは全くなく、複数プロジェクトを同時並行するのが好きです。たぶんパラレルワールドで高校球児だったとしても、家帰ったらめちゃめちゃ勉強するタイプというか。僕の会社の共同経営者の兄は逆で、文太郎タイプです(文太郎ほど極端ではないですが)。たぶん野球一色になるタイプ。ある意味補完関係かもしれません。

 

上に書いた通り僕は興味があっちこっちにあって、昔この孤高の人を読んだ時は「やっぱ一つのことに熱中できるのってかっけぇな」とか思ったんですが、今読み返してみて「文太郎は文太郎、俺は俺」と納得しています。巡り合うことがホントに幸せかどうか、ただ隣の芝生が青く見えているだけなんじゃないか。この漫画「孤高の人」は、巡り合っていない僕たちに捧げられる“巡り合った人”森 文太郎(ちなみに実在の登山家)の物語です。端的に言えば、一つのことに極限まで全賭けした人生ってどんな感じなの?というお話。今は現役サッカー選手が同時並行で会社経営する時代ですから、少し古い価値観かもしれません。一つのことを極限まで突き詰めるのが良い戦略だとは僕も思えません。

 

さて、雪山登山を題材にしているから当たり前なんですが、作中では人がよく死にます。巡り合っていないのに巡り合ったようなフリをしたい人、山を利用して己の欲を満たしたい人を「おいおい無理すんな。お前そんなに山好きじゃないクセに(笑)。さ、死になさい」と山がただただ容赦なくなぎ倒す。

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文太郎以外が悲惨に死んでいくのは漫画っぽいというか、作者の伝えたいメッセージ性が強く出ている気もします。たぶん作者も山に殺される側ですね。メッセージ性を強めるために山を利用しているから。

 

文太郎はそんな屍を何体も、何体も越えながら、山とひたすら向き合います。一瞬、一瞬、命を削りながら最適解を選び続け、雪山の頂点を目指すのです。文太郎は山のことしか考えられない人間です。人間関係、社会性といったものをすべて犠牲にしています。もはや僧侶に近いかもしれない。彼は俗世を離れたいと願い、山はそれを叶える。作中ではそんな世間知らずの文太郎を利用するもの、騙そうとするもの、愚かだとあざ笑うもの、憧れるもの、心配するもの、様々な人が出てきては文太郎の心にノイズを与え、そして山はそのノイズに対しての返答を促します。お前はどう答えるんだ、と。文太郎は一人登り続けることで答えを探し続けます。

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数々の名だたる雪山を登るも、人の温かみに触れるにつれ雪山から距離を置き家族を築いた彼は、最後の最後に人類が誰も足を踏み入れていないK2の東壁に挑戦するか否かを迫られます。彼は家族や友人、恩人と共に人間として生きていくことを選ぶのでしょうか。それとも、山の一部となることを選ぶのでしょうか。完結の17巻まで一切テンションが緩むことのない名作です。