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俺?CEOだよ。社員いないけど

めんどくさいことばかり考えている25歳起業家「黒なんとか」の日記。頭の整理のためにゴミを投下します。

今回の障害者虐殺事件で安楽死に関する議論を始めるべきなのか

ニュース・時事

 

どうも、 僕です(©くりぃむしちゅー有田)。


最近更新が滞っていましたが、特に理由はないです。Pokemon GOとかやってたんで文章を書くテンションじゃなかった的な。

しかし、この空前のポケモンGOブームに強烈な冷水となるような凄惨な事件が起きてしまったので、ここらで今の気持ちをまとめておこうかな、と。

www.asahi.com


正直、この事件をちゃんと真正面から受け止めるのはまだ難しいです。「障害者とか別に殺されたってwwww」と軽口を叩いている人もいるようですが、そういう人はおそらく原発事故の時も同じようなテンションで流したのかな、とか思ったり(僕は反原発でもなんでもないですよ、一応)。


こういった緊急時に我関せずを貫くのもそれはそれで一つの答えなので僕は特に反対しませんが(つーかそういう人の方が多数派なのかな)、僕はどうしても色々と考えこんでしまいます。これは昔からの癖というか、幼少期からの営みというか、もうそういうもんなんでどうしようもないんです。


考えるべきことは腐るほどありますが、僕はまず何を考えたか。「安楽死の是非議論をこの事件の文脈で始めるべきか」です。増田(はてなアノニマスダイアリー)でもやはりこういう人が出てきました。

障害者が安楽死できる世界をどう考えるか



この事件の犯人はどうやら障害者を積極的に安楽死させていきたい思想の持ち主だったようなので、このタイミングで安楽死に関する議論が始まってもおかしくないように思えますが、本当にそうでしょうか。


まずこの事件は「勝手に」障害者の安楽死は必要だという思想を加速させた愚か者による、安楽死を望んでいたという記録は一切ない(と思われる)障害者の方たちを一方的に惨殺した事件です。


ん?これって本当に単純な「大量虐殺」では?


例えばミリオンダラー・ベイビーのような結末についての安楽死の議論だったら、僕は大いに結構なことだと思います。主人公の女性ボクサーが安楽死を望んでいたわけではない(正確にはそれを表明するタイミングは一切無かった)というのは今回の事件と一致していますが、一生目を覚ますことが無いであろう教え子である女性ボクサーを殺したクリント・イーストウッドは「生前の彼女ならきっとこの結末を望むだろう」という意思によって生命維持装置を止めたわけです。殺人には変わりないのですが、最早意思を確認する術が無い以上、あの殺人には一考の余地があると僕は思いました。なぜか。それは親子同然の絆を彼と彼女に感じたからです。血縁関係と違って他人同士の絆っていうのは定量化できるものではなさそうなので難しいですが、イーストウッドから教え子への愛は本物だったと、観劇者の僕はそう思ったから頭を悩ませるわけです。ま、殺人は殺人です。それは絶対です。


さて、今回の事件はどうでしょうか。主観的な意見で申し訳ないですが、僕は犯人にそういった愛情が被害者の方たちにあったようには到底思えません。そして、日本ではそもそも許可されていないので当たり前ですが、犯人は安楽死の意思を(僕も確認したわけではないからわからないけど)確認できるであろう知的障害者の方たちの意思を確認したわけでもありません。

「障害者にそんなこと判断できるわけねーじゃん」という意見も散見されるのですが、あんた達はそれが事実かどうか、確認した上で言ってんのかそれ。「判断できそーにもない」で殺すなら、今回の犯人と思想一緒では。


僕は思います。今回の事件と同じ文脈で安楽死を扱うのは、お門違いなのではないか、と。「文脈とかそういう言葉遊びで逃げるなよ」と言う人もいるかもしれませんが、文脈が違う事柄をさも関係があるように見せているこの犯人の思想に僕は絶対に加担したくない。

どういうことかハッキリ言いましょう。今回被害に遭われたような障害者の方たちと安楽死は今んとこ関係無いっす。知的障害がある人は死にたいだろうなー、という一部の健常者の勝手な思想によって作り出された文脈です。そこに僕は加担したくない。普通にこわい。っていうか、自分が健常者だと信じて疑わない脳天気さもこわい。社会のルールが急進的に変わったそのときも、本当にアンタは健常者側かな?


改めて言いますが、安楽死は健常者だろうが知的障害者だろうが、今んとこ関係ない。安楽死の議論をするなら、本当に一から丁寧に始める。「安楽死を必要とする人」を中心に据えて。