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俺?CEOだよ。社員いないけど

めんどくさいことばかり考えている25歳起業家「黒なんとか」の日記。頭の整理のためにゴミを投下します。

大事な兄がバイク事故で死にかけた話

雑記

 

どうも、僕です(©くりぃむしちゅー有田)。

今では何事もなかったかのように元気に僕と会社を経営する兄ですが、実は一昨年の夏にバイク事故でガチで死にかけたことがありました。今でもたまにその話を2人ですることがあるのですが、笑い話になっているあたり、生死は紙一重だけど生き残ったか死んだかでずいぶんその後のシナリオは変わるもんだなぁと思います。

当時僕は彼女とシンガポールを旅行している最中で、次の日の朝のフライトで帰るのを控えた、旅行としては最終日の朝にホテルで起きると、母親から2時間前くらいに大量のLineが飛んできていました。時差なんかを考えてみると日本の6時過ぎに送られてきたLineでしたからなんとなく直感で「只事じゃないな」と思って、彼女に悟られないようにベッドから離れてホテルの部屋の隅っこで確認したことを覚えています。

「兄がバイクで大型トラックと衝突して、かなり危険な状態で今緊急搬送されています。まだ私も会えていません」

「会いたい。早く会いたい」


「命に別状は無いということでした。でも何らかの障害が残るかもしれないということです。今、脳の検査をしています。依然として、かなり危険なことには変わりはないようです」

30分おき程度に届いていた報告を見た瞬間は、心臓が高鳴りました。しかし、次の瞬間にはすぐに冷静になった自分がいました。「死ぬ?障害?マジか。まぁしゃーないな」と。なんせ、相手は大型トラックです。交通事故は時間差で死ぬとも聞くし、生きていてもグチャグチャになっているんじゃないか?とか、妙にリアルなことを考えていました。特に、音楽家の兄は当時かなり精神的に追い込まれていた時期でもあり、事故が起きたことに対して妙に納得してしまいました。

こんなことを言うと兄弟愛が薄いと思われるかもしれませんが、僕と兄はかなり仲の良い兄弟です。大人になった今でも、結構な時間一緒にいますから。

それでも、最悪死んでもしょうがないくらいに思っていました。というのも、大切な人が死んでしまったショックは絶対に遅れてくるだろうとその時になんとなく一瞬で理解したのです。僕はそのLineを見てからの何分かで、兄を失った後の人生を想像しました。抜け殻になった両親、1人で会社を支えることになった自分...。恐らく、会社をこれから1人でやっていきながら、兄の志を引き継いでいくしかない。そして、その多忙な日々の中で突然兄の喪失に気付き、重い重い十字架を背負って泣きながら生きていくのだろうと。ふとした夜に失ったものの大きさを思い知り、何度も泣き崩れるだろうと。

そうならなくて、本当に良かったなと今は思います。彼女に事故を隠しながら最終日を思い切りエンジョイして、帰国後のそのままの足で事故現場の近くの板橋区の病院に向かいました。空港が成田だったので、結局着いたのは面会時間が終わるギリギリでした。

病室には包帯だらけでボロボロの兄がいました。

「アホか...会社も大変なのに何やってんだよ」

「す...まん...すぐ復帰....する...から」

上手く喋れない兄に今できる仕事を指示してすぐに病室を出て、真っ暗な病院の出口に向かって歩きながら、ボンヤリと考えていました。「明日からしばらく1人か。忙しくなるなぁ」と。そんな兄弟の思い出。